現在の本堂は、延享2年(1745年)に再建されたおよそ270年前の建物です。
本尊阿弥陀如来をはじめ、明治27年の文書に現存の記録が残っている四間四方の「薬師堂」に祀られていた旧本尊薬師如来日光・月光菩薩十二神将、寛永年間の修理の記録が残る観音菩薩、鎌倉仏師ゆかりの不動明王、村内に境外仏堂として存在した「地藏堂」ゆかりの地藏菩薩、お神籤の元祖と言われる元三慈慧大師をはじめ、実に様々な仏様が数多くお祀りされています。
また、本尊を祀る欅製の「須弥壇」と「前机」「密壇」は、大型かつ精巧で貴重なものとなっています。
稲荷宮
辯財天の頭頂には「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」と同体といわれる宇賀神が鎮座し、さらに辯財天の回りを囲む十五童子の中の稲籾(とうちゅう)童子は稲荷明神の化身と言われています。「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」は京都の「伏見大社」御祭神そのもので、明治になるまで伏見大社のお札には、真ん中に「宇賀神」と朱書きされていたといいます。
名工横山七郎左衛門が再建したと伝わる稲荷宮は残念なことに何時の頃か滅失してしまいましたが、往事を偲んで平成18年柿(こけら)葺きにて現在の稲荷宮を再建しました。
山門
現在の山門は平成8年に再建されました。昔の多くの寺院は山上にあったのでその門を山門というようになったといわれています。かつて、ともに絶大な権力を有していた天台宗総本山比叡山延暦寺を「山門」、比叡山の麓にある天台寺門宗総本山三井寺を「寺門」と呼んで対比したこともありました。
六地蔵尊
六地蔵とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六道から、手にお持ちになられている宝珠や錫杖をお使いになり人々を救済する地蔵菩薩です。
北向き地藏尊
仏様は南向きや東向きに祀られるのがほとんどですが、このお地藏様はあえて北向きにお祀りされています。「六道能化」といわれる地藏菩薩には、現世で迷い苦しむ我々とあの世の亡者の苦しみを代わりに受け下さる「代受苦」というありがたいご誓願があります。迷い苦しみの原因となる悪しき縁を絶ちきっていただくお地藏様です。
妙圓寺境内マップ
(マップ内の箇所をクリックしてください)
御朱印
すべての御朱印は本堂にて承っております。お気軽にお声がけください。
大辯財天御朱印
山上にある辯天堂「寳珠殿」に祀られている八臂宇賀辯財天の御朱印になります。
宇賀神王御朱印
岩屋霊穴内に祀られている宇賀神の御朱印になります。
本堂の佛様
阿弥陀如来(現本尊)
阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主です。 もとは法蔵菩薩という名前で、修行中に「未来永遠にわたってあらゆる人々が浄土に行けるようにします。
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阿弥陀如来
上品下生の来迎印を結びます。妙圓寺の本尊様は、一木造の古風な座像で、平塚市内でも有数の大きさを誇ります。天明8年(1788年)に修理された記録が過去帳にありますが、それ以外の記録は残念ながら確認されていません。本尊をお祀りする須彌壇・前机・密壇は、総欅の大変立派な物で、田舎の寺には不釣り合いなほどの大きさと精巧さを備え持つ貴重なものです。密壇は、享保年間に薬師堂における秘仏薬師如来開帳に際して新調されたものと墨書されています。
※阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主です。 もとは法蔵菩薩という名前で、修行中に「未来永遠にわたってあらゆる人々が浄土に行けるようにします。それができなかったら私は仏になりません」という誓いを立て、その誓いが成就したからこそ阿弥陀如来という仏になりました。無量寿如来や無碍光如来の別名があり、限りない命と限りない光(智恵)にあふれた仏であるとされます。
薬師如来(旧本尊) / 十二神将
妙圓寺は、山号を和光山(仏の知恵の光)と号し、院号を醫王院(薬師様の別名)と名付けられているように、もともとの本尊様は古記録に「秘仏行基作」と記された薬師如来でした。
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薬師如来
妙圓寺は、山号を和光山(仏の知恵の光)と号し、院号を醫王院(薬師様の別名)と名付けられていることでも解るように、もともとの本尊様は古記録に「秘仏行基作」と記された薬師如来でした。旧本堂と言うべき「薬師堂」は、江戸時代及び明治26年の記録には、四間四方のお堂が存在していたことが明記されており、舜尭法印によって中興開山される以前の本尊が、この薬師如来だったと考えられています平成22年までの数年間をかけ、薬師三尊と十二神将全ての修復を奉納いただきました。
※薬師如来は東方浄瑠璃浄土の教主です。その名の通り医薬を司る仏で、医王という別名もあり、衆生の心身の病いを治し、安楽を与える仏とされます。奈良平安の時代に最も信仰された仏様で、薬師を本尊とするお寺は歴史が古いとも言われています。天台宗の総本山比叡山延暦寺の総本堂根本中堂の本尊様も、伝教大師が刻まれた薬師様です。阿弥陀加来が来世での安らぎを約束するのに対し、薬師如来は現世での安らぎを与えて下さるのです。
十二神将
頭上に十二支の干支を頂き鎧を身につけ、刀や槍などの武器で魔を払います。日光菩薩・月光菩薩で昼と夜の24時間、十二神将で360度全ての方角に、薬師様の力が及ぶよう守護している姿を表します。
観音菩薩像
数ある観音様のお姿の中で、この観音菩薩は不空羅索観音像が最も近いと思われますが、準胝観音と記された記録もあり仏像名は定かでありません。
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観音菩薩像
数ある観音様のお姿の中で、この観音菩薩は不空羅索観音像が最も近いと思われますが、準胝観音と記された記録もあり仏像名は定かでありません。しかし、大変まとまりのよい素晴らしいお像として評価が高い観音様です。胎内に寛永11年(1634年)並びに寛延2年(1749年)の修理に際する墨書銘が残されており、平成22年にも修復が奉納されました。
※観音様は日本で1番信仰を集めている仏様でしょう。救いを求める人があれば、慈悲の心によって、すぐにそこへ行き手をさしのべていただけるありがたい仏様です。それぞれにさまざまな悩みをもつ衆生の救済に顕れる時には、実に多くのお姿になると言われています。六観音といえば、聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・不空霜索観音を言います。三十三観音をはじめ、数え切れないお姿の観音様が存在しています。
地蔵菩薩(位牌壇の本尊)
56億7千万年後に弥勒菩薩が出現して悟りを開かれるまで、六道の世界を行き来し、一切の衆生を教化する仏様とされています。
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地蔵菩薩
明治年間まで、村内に妙圓寺境外仏堂として立派な地蔵堂があり、過去帳には堂守(地蔵堂をお守りしていた方)の御戒名が記されていて、堂守がいたことも判っています。現在、自治会館に祀られている旧地蔵堂の本尊は石像で、「火伏せ地蔵」として篤く信仰され、今も念仏講の有志によって供養されています。
※地蔵菩薩は釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出現して悟りを開かれるまで、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天道)の世界を行き来し、一切の衆生を教化する仏様とされています。
不動明王(旧護摩間本尊)
悪に負けそうな弱い心を懲らし、すべての障害を打ち砕いて仏様の教えに導き、衆生を救済するという役目を持っています。
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不動明王
天台密教の修行は、必ずお不動様を本尊様として行いますから、天台宗のお寺にお不動様はつきものです。妙圓寺に残る明治2年の図面では、現在お薬師様が祀られている部屋が護摩間として記録されており、このお不動様の尊前で厳しい修行が続けられていたことが偲ばれます。
※不動明王は、悪に負けそうな弱い心を懲らし、すべての障害を打ち砕いて仏様の教えに導き、迷える衆生を救済するという役目を持っています。目を怒らせ、右手に宝剣を持ち左手に縄を持つ大変恐ろしい姿をしておられますが、そのお心は人々を救済しようとする厳しくもやさしい慈悲の御心に満ちています。
子易観音像
安産と子供の健やかな成長を見守る観音様。
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子易観音像
安産と子供の健やかな成長を見守る観音様。「子宝成就」にも、数々不思議な御利益を授けて下さいます。
元三大師御影
元三大師良源(がんざんじえだいしりょうげん)は第十八代天台座主(てんだいざす)として、比叡山中興の祖と崇められています。
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元三大師御影
元三大師良源(がんざんじえだいしりょうげん)は第十八代天台座主(てんだいざす)として、比叡山中興の祖と崇められています。
諡号は慈恵大師ですが、正月三日に亡くなられたことから元三大師の呼び名で親しまれています。また、霊験が強く数多く人々を救ったことから「観音様の化身」として信仰されています。
中でも京都の町に疫病神が出た際に、自ら鬼の姿になり退治した話は有名です。そこから「鬼大師」「角大師」「豆大師」として広く厄除け信仰されています。
さらには、全国の寺社仏閣で見られる「おみくじ」を日本で最初に考案されたのも、元三大師良源だと言われております。
妙圓寺では、「如意輪観音」「元三大師御影」「鬼大師」の三体をお祀りしております。亡くなられた正月三日と誕生日の9月3日には、法要をいたしております。
如意輪観音(左側) / 鬼大師(右側)